運命の輪
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運命の輪 ― 絶賛振り回され中
「運命の輪」、運がいいときや流れに乗ってることを意味すると言われます。
瀬野としても「運命の輪」が正位置で出るときは、本当に順調な時が多いです。
あるいは、瀬野の場合、「世界」が出た後「運命の輪」がよく出ます。
そういう時は「ああ、今本当にいるべき流れの中にいるな」って思います。
特に、RWS版の「運命の輪」は「世界」に似てるし、こいつが出るときは特別うまくいってる感がありますね。
だけど、「運命の輪」と「世界」はあくまで似ているのであって、同じという訳じゃないんですな。
何が違うんかいな? というと、そこはやはり、「真の意志」とか自分の人生の目的とかを掴めているか掴めてないか、自分の目的が、自分の中でハッキリ分かってるか分かってないか……ということじゃないかと瀬野は思います。
自分が本当に求めているものをまだ掴めてないときにも「運命の輪」は出るけど、そういうときは「そのときだけうまくいってる」というだけでしかなくて、「運命の輪」正位置だからそれでいいかというと、ちょっと、そうは言えません。
「真の意志」なき禍福
でも、何となく良い流れに居続けていれば、そのままうまくいくんだからそれでいいんじゃね? と言う人がいると思いますが、瀬野、それは疑問です。
というのは、何となく良い流れに居続ける、っていうのは「引き寄せってカンタン!」とほざいとる引き寄せの達人(笑)みたいなもんだと思うからです。
まあ、実際やってる奴はいますし、やれる奴は実に簡単に当たり前にやってます。
しかし、そのコツというかツボがまるっきり出来とらん人たちにとっては、流れに乗り続けてそれでうまくいくなんちゅう虫のいい話は極めて超絶技巧です。
こっちに書いた話でもあるんですが、「引き寄せってカンタン!」と豪語しとる人でも、引き寄せに失敗するときだってあります。
彼らの成功率は、決して100発100中ではありません。
彼らだって引き寄せで必ず宝くじを当てまくってる訳ではありませんでしょ?
でも、「引き寄せってカンタン!」とほざく人は、失敗しても大して気には留めずに、さっくり次の目的へと取りかかります。
だから「引き寄せってカンタン!」と言う人の心には、成功例しか残ってません。
成功率100%にはなりゃしませんが、成功して満足したことしか覚えてません。
そうして成功と満足を心に抱いているため、成功率と満足度が上がっていきます。
逆に、引き寄せに失敗する人は、試してみて失敗したことを気にします。
宝くじ一等当選を狙っちゃ当たらないでガッカリし、心に残るのは不満です。
そうやって失敗したことへの不満を心に引きずることで、さらに不満と失敗の蟻地獄へ陥ります。
その蟻地獄を断ち切るには、まずは、初めは本当に機械的でいいから、失敗したとき「うん、これでOK、それでいい」と思ってみることが先なのよさ。
……どうせ成功したことなんか少ないし、満足したことはもっと少ないんだろ?
なら失敗して「まいっか、そんなもんだ」と思ってみてもそれ以上悪くなるもんか。
うおっと、長くなっちっち。
まあ、結局、幸運と不運というものは、誰にでも、いつでも、平等にやってくるもんな訳なんすね。
だけど、上の引き寄せの話よろしく自分にとって目指すところというものが、自分の中でハッキリしてたら、
何度失敗しようが、何度流れから外れようが、そんなことには構わずに、ただそこを目指すでしょう。
でも、それがハッキリしてなかったり、外の価値感に依存してる状態では、ちょっとした幸運な出来事と、同じくちょっとした不運な出来事にいちいち一喜一憂し、ぐりんぐりん振り回されることになるでしょう。
この、幸不幸に振り回されている状態が、「運命の輪」だろうと思う訳で。
カルミナ・ブラーナ的な
「運命の輪」というモチーフも含めて、幸不幸に一喜一憂というと思い出すのがオルフ作曲の「カルミナ・ブラーナ」ですね。
有名な、冒頭および最後の「O Fortuna」も実にこのカードぽい曲ですし、2曲目の「Fortune plango vulnera(運命の女神に傷つけられて)」は特に「運命の輪」逆位置って感じがしまくりです。
カルミナ・ブラーナのヴォーカル・スコアの表紙にも(オルフの著作権は2014年現在全然切れてないので、あれしかありません)ズバリ運命の女神と運命の輪が描かれてますね。
世界最古のタロットデッキでは、あれがそのまま「運命の輪」の絵です。
というか、描かれてるモチーフが完璧に一致しています。
中世頃の寓意画でなんかそういう様式でもあったんでしょう。
瀬野はエジプトはあんま好きじゃないし、挙句にラテン語萌えなのでカードを描くならこの古典的な絵柄を元にしようと思ってます。
あと、「regnavi」とか言って王冠を落としてる人になんだか萌えを感じた。
絵柄をどうするかと言えば、四隅のテトラモルフ(人、獅子、牛、鷲)について。
瀬野はここ、世界を形作るものという意味で4つのスートにするつもりでいます。
べ、別にこんな小さい所に生き物を描き込むなんてめんどくさくて嫌とか思ってる訳じゃないんだからね!
が、いままで流し読みした解説で面白いなと思ったのがあって、それは「『運命の輪』のテトラモルフは、世界について勉強中だから本を持ってる」という説です。
瀬野、そこは聖書を持ってるんだと思い込んでて完スルーだったよ!
でも、「運命の輪」のテトラモルフはイマイチ完全じゃない感じということには激しく同意です。
……かといって無機物に本を持たせる訳にはいかないよね。
どうしよっかな。オーラ抜きにするとかの方向で行こうと思います。