女教皇 | Luminareo

女教皇

2014-08-25

女教皇

「女教皇」タロット図解(1922年版)

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オリジナルで絵を描くなら……

女教皇 ― まず世界を学んで受け入れる

「女教皇」のカードは、「冷静さ」「知性」「聡明さ」「直感」などを意味すると言われます。

または、人物とかキャラクターを表すことがあって、そういう場合は、勉学にいそしむ女性とか、綺麗なんだけどお色気0な女性とか。
感情・感性より、知性とか知的なこと優先な人物。
そんな感じです。


瀬野は昔、この「女教皇」のカードが大好きだったんですよ。
でも、今は割とそうでもなくて、「女帝」の方が好きです。
昔は「女帝」のカードを見るとイラっとしてたんですけどね。リア充○ねって感じでw

それが、今は、このカードが出た時の方がイラっとする。

というのは、最近の瀬野にとって「女教皇」は、はっきりしていない要因があって、どうなるか何ともいえないときによく出るからです。
結論はよく分からない、占えない。
そんなときに、「女教皇」がよく出る
んです。

己を殺して外界を学ぶ

さて、「女教皇」の背景には海が広がってます。
ご着衣もなんとなく流水っぽい。水をとても連想させるカードです。
そして海や水というのは、無意識だとか感情を表すと言われます。

だから一般的に、女教皇と水(無意識)との関係について

「女教皇」は優れた直感の持ち主で、直感でなんでも見通している。
聡明で直観力に優れている。

的なことが言われるんですけど、瀬野はそれとはまたちょっと違った見方をしたい。


流石に水や月をイメージさせる感じな訳だから、この人に直感だとか感性がまるでないという訳じゃない。
むしろちゃんと持ってる。

だけど、この人は、自分の感じたこと考えたことに一旦蓋をして、知識など、世界の仕組みを受け入れているのではないか。
そういう風に瀬野は思うんです。

直感はある。でもそれに蓋をして外界に合わせてる。
あるいは自分に一旦蓋をして外界に合わせることを学べ、というか。
だから、海にわざわざカーテンがかかってるんじゃないんかいな。


外の世界を学ぶとか、知識とか、勉強するとかいうことは、ある意味自分の都合や本心を殺すことでもあると最近の瀬野は思うんだよね。

勉強や知識っていうのは、大人や世間、そして世界のルールです。
例えば、自分の都合では物理法則は変えられないでしょ?

なんで子供が勉強を嫌いかっていうと、勉強の内容というものは、有無を言わさず100%受け入れるしかないからじゃないですか。
決して自分の都合や思い通りで変えられるものではありません。

それに対して勉強の出来る子っていう奴は、自分の都合や感情はさて置き、他人のルールをそのまま受け入れそれをその通りに守れる子が勉強が出来るようになるんだな。

しつけのされていない子供というのは動物と同じでしょう。
知性を磨くとかそういうことは、最初にある意味自分を殺す必要があるんではないか、と。

己で己をだまくらかす

ですが、あんまり長いことそういうことを続けてたり、長けてたりすると、今度は自分で自分の本音を殺すことが当たり前になってしまうんですよね。

自分の本音を自分で殺して、他人の都合に完璧合わせちゃう。
これがひどいことになると、他人の都合に合わせ抜き、他人に評価してもらうことの方が自分の物差しで生きることより重要なことになってしまって、自分で自分のやりたいことをやっているようで、実は、他人に「すごいね」って言ってもらったり、褒めてもらうことがその行動の真の目的になってしまったり(……本当に、純粋に自分のやりたいことをやってるならさ、他人の反応なんて全然必要なし! なんだよね)だとか、他人の都合に合わせ、自分で自分の本音を殺していたことで自分自身が自分を一番傷つけている、ということに全然気がついてない、みたいなことになっちゃう。
……ええ。つい半年前までの瀬野だよ。


だから、瀬野はこの「女教皇」、最近では……

自分で自分を殺してる。
自分で自分に大嘘をついてる、とか、自分で自分自身を騙してる。
だから、どうしたいのか自分でも分かっていない。
事態がどうなったら腑に落ちるのか、自分でまるで見えてない。

占っても、どうなったらいいのかハッキリしない。
それで、肝心なことが見えてこない。
という訳で、結論がどうなるかはっきりしない。

……という風に読むことが増えましたなぁ。

よい意味で出ている「女教皇」であれば、または「(よい意味の)愚者」とか「星」、「太陽」、「世界」あたりが一緒に出てるなら、知識も使いこなして直感に沿ってるという解釈でいいと思うんだけどね。