Luminareo

正義

正義 ― 少し、頭冷やそうか?

2014-08-20

「正義」のカードは「バランス」とか「公正さ」を意味するといわれます。

瀬野的には、自分の考えがだいぶ固くて、自分の都合だけでものごとを考えてた、というようなときに出ます。

もっとものの見方を広げたほうがいいとか、別の可能性が考えられる、あるいは相手の立場に立って現状を考えてみたほうがいい、そんなときによく出るカードという印象です。


「バランス」というと、「節制」と何が違うんかいなというところですが、
「節制」の場合は「今の考えを静かに保って焦らず行動を続けろ」という感じで、

「正義」の場合は「今の考えはバランスを欠いてるから見直せ」という感じです。

また、「今の考えを見直せ」というと、「塔」とは何が違うんかというのもありますが、「塔」の場合は「今の考え方は土台から根本的に間違ってる」という感じです。

「正義」の場合、話の土台の認識まで決定的にダメということではない。

単にものごとの捉え方のバランスが悪く、自分の都合だけでものを見過ぎてて、もうちょっと、相手の立場を考慮する余地があるぞ、という感じですな。


個人的に、「正義」は考えが煮詰まってて頭に血が上ってるときによく出る印象があります。

このカードが出て「あ、こりゃ頭冷やした方がいいわ」となることが多いですw

よそはよそ、うちはうち

そして、この「正義」、「運命の輪」と合わせて大アルカナの区切りというか、そういう感じがします。
「愚者」はちょい別で、「魔術師」から「運命の輪」までが一つのサイクルで、この「正義」以降、「吊るされた男」から「世界」までがもう一つのサイクルです。


「魔術師」から「運命の輪」までのサイクルは、自分と外界との関係のことで、自分は外界からどう影響を受け、また、外界にどう反応していくかという感じがあります。

よく言えば、世間といかに上手くやっていくか、ということがこれまでのサイクルでの関心事ですな。
コミュ力がキーポイントにあったと言っていいかもしれません。

でも、悪く言えばそれは、自分ではないものの都合によって、自分の生き方を決めるということにもつながる訳で。

自活能力を持っていない子供の間は、他人の都合に合わせて自分のふるまいを変えることが、自分の人生を生きるための生存戦略でした。

しかし、自分の稼ぎ・自分の判断で自分が生きていける段階で、他人の都合に合わせまくって、己の生き方をコロコロ変えるようでは、それこそ「自分の人生は誰のためにあるの?」になっていってしまいます。

それとは逆に、自活する力のないガキに「社会の歯車になるな」的な御言葉は早すぎると思うのよ。
社会でやってくためには、ある程度はその社会の歯車でいなきゃ、受け入れられない訳でさ。


外界に合わせて自分の身の振り方を決めるのは、この「正義」で終わり。

相手の事情は相手の事情で考える。
でもそれは自分の生き方とは別。

また、それの逆のことも言えて、自分の生き方や自分の都合は、外界の動きとは別腹で考える。それが、この「正義」。

そしてこれから「吊るされた男」から始まるサイクルで、じゃあ自分の生き方とは何か、自分の本当に求めるものとは何かを探していくという訳です。

絵面的に考えた戯言

ところでこの「正義」のカード、描かれているのはギリシャ神話のテミスとかその娘のアストライアだとか、ローマ神話のユースティティアとか言われます。

しかし、まあ、カード名がまんまユースティティアIustitiaなんで、もうユースティティアを描くしかない訳で。

というか、持ってるものが剣と天秤って時点でもうユースティティアとか正義の女神なんだよね。


……という訳で、正義の女神について画像検索などしてて、ある日「おお!」と思う正義の女神像を発見したんです。

それがロンドン中央刑事裁判所の正義の女神像

両腕をピンと伸ばし、剣をバスっと上に向けて構えて、許さねえものは断固許さねえという感じ。
超かっけえ!

正義の女神像や、それを描いたモチーフは数あれどこの女神像を見た後ではどれもふにゃふにゃって感じにしか見えません。

天秤を掲げるのはいいとして、腕を曲げてるとか、剣を下に向けてるとか、……萌えない。
まるで萌えない。無理。

あの像以上に滾る気のする正義の女神は未だ見つからん。


それ以来、瀬野は自分の「正義」のカードはもう絶対あの姿勢で描く、と心に決めましたよ。

カードは横幅が細い仕上がりだから、どう納めようか気になってるけど!(号泣)
でも何とかするしかない。何とかしてやる。